番組では、パイワンの人々の集合写真に、「人間動物園」なる侮辱的な記述を付していた。
番組のなかで出てくる「人間動物園」については、中山成彬氏が代表してNHKに再質問状を送り、この問題を真摯に追及されているところである。
今日、再質問状に対する回答が来たが、NHKはまたしても質問状に対して答えていない。
むしろ答えられないので、質問内容を踏み外した言葉を並べているに過ぎない。
それが故に番組の歪曲をさらに助長している。
その「人間動物園」は、以下の文献において触れられているが、そこに「人間動物園」などという記述は全く存在しない。
1935年に発行された『蕃人教育概況』において、「観光」という小題のもと、以下のとおり記されている。
「(前略)蕃人の指導教化には先進文化を観光せしむることが最も効果的であることは言う迄もない。これを以て当局においては早くも蕃人観光に力を効し、明治30年、北部蕃人各族頭目13名の内地観光を初めとし、明治43年には南蕃頭目勢力者24名を英京ロンドンに送り、1箇年余滞在の後、帰台せしめた。その後、引き続き各地蕃人をして内地を観光せしめ、昭和4年に至る間、島外観光総計10回、人員336人に上った。これら観光者の帰社後、蕃地開発上貢献したところの効果は実に偉大なるものがあった。就中大正3年、南蕃騒擾の際、偉功を樹てたスボン社頭目カロワン・ワジュイの如き、実に明治43年における英京ロンドン観光団員中の一員であり、また、霧社事件において仁侠頭目として名を挙げたパーラン社頭目ワリスブニもかつて内地観光をした一人であった。以上のうち、第8回までは官費であったが、以後はすべて蕃人の自費である。昭和3、4年、花蓮港庁および新竹州先覚者が内地観光以来、島外観光の企は一時中断したが、昭和9年に至り、高雄州および台東庁の先覚蕃人20名は、自費内地観光をなし、さらに翌10年、花蓮港庁の蕃人33名、同じく自費内地観光をなし非常な好評を博した。一行は悉く国語を解するを以て、彼らの啓発され裨益したことは極めて大であり、今後の蕃社開発上大に期待されている」
(台湾総督府警務局、『蕃人教育概況』、1935年、pp.17-18)
{この台湾総督府警務局が、当時、先住民族の方々に
対する教育に努めていた}
番組で言うところの「人間動物園」は、1897年から行われていた観光の一環だったのである。
台湾の内外の文化を見学する観光である。
1897年(明治30)には、台湾北部の先住民族(蕃人)の人々が、内地日本を観光している。
これが初めての島外観光である。
その後、1910年(明治43)に、パイワン民族の族長(南蕃頭目)や勢力者24名がロンドンに渡り、1年余り滞在する。
これが日英博覧会に関する記述である。
1914年に起きた南蕃騒乱の際に、ロンドン観光団員の一人であった、スボン社(パイワンの人々が暮らしていた村の名称)族長が、それを治めるために貢献をしたことも記されている。
その後も引き続き、先住民族の人々が内地日本を観光し、1929年(昭和4)までに計10回の島外観光が行われた。
上記に続いて、教育所児童、青年、および一般の先住民族の人々による島内観光が毎年行われ、「多大の効果を収めている」と述べられている。
当時は修学旅行として、多くの先住民の方々が島内観光を行うこともあったのである。
番組に登場されたパイワン族のご子息は、番組のナレーションで説明しているように、その父が日英博覧会の「人間動物園」なる見せ物で展示されたことなど父から聞いていなかったのである。
それもそのはずである。
なぜなら、そのようなものはなかったからである。
(これに関するやらせ取材については以前の記事の最後で触れています)
以下は、同文献の冒頭に掲載されている、先住民族の人々による観光の際の記念写真である。
1枚目は内地日本への観光、2枚目は台北への島内観光である。




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